可哀想な人にであったら

可哀想な人をみたらたすけましょう
そうやって道徳的に教育されるが、ママは、猫を助け、人を助け
そうやってきたけど、
家族を後回しにして、他人をたすけつづけてきた

中には、悲劇のヒロインぶってすぐに助けを求める人
助けてもありがとうと泣いてふりをしても、実は豪遊している人
こっちが助けようと尽くしても、本人は努力しない人
助けてくれないとひどいとこっちが加害者のようにいう人

そんな人間がいるのです

だから、人を助けるって
自分はそんなに人をすくえるだけの器がない
まず、絶対あなたを裏切らない自分の家族をまもって、守れているなら、
はじめて人を助ける

そうかんがえたら、せいぜい、人生で一人たすけられるかどうかという気づいたの
つまり、可哀想な人いても、気持ちの共感まで。
本当に助けるなら、自分でするのでなく、相手にする方法を一緒に考える
それをすると、やってくれない!ひどい!冷たい!という人いるけど

そもそも自分がつらいことを人にいって辛いおもいをうつしたりつらいおもいを人にやらせたり、やらせるようにもっていったり
その人間のがひどいんだよ。だから、そいういう人とからむと自分や自分の家族がみんな犠牲になる
守らないといけないのは、自分と自分の家族
だから、そこは見抜いて、後ろ髪ひっぱられても、そいうひとからはにげて

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